ワイルド・パーティー
Beyond the Valley of the Dolls


97年の夏、巨乳映画の巨匠ラス・メイヤーを訪ねて、有名なHOLLYWOODの看板の真下にある彼のオフィスにお邪魔した。メイヤーのオフィスは彼の映画のポスターや小道具で埋め尽くされた「オレ博物館」になっていたが、玄関を入ってすぐの額に飾ってあったのは20世紀フォックスの社長リチャード・ザナックからの手紙だった。「それは、えーと……わしが『ワイルド・パーティー』で金を稼いだことへの感謝状だよ。」

75歳のラス・メイヤー御大は27年前を思い出しながら言った。「当時、フォックスは倒産寸前だったから、低予算で客を呼べるわしを雇ったんだ。」

今も世界各地で上映され続けるカルト・ムービー『ワイルド・パーティー』は、ハリウッドの老舗20世紀フォックスと、孤高のポルノ屋ラス・メイヤーのあり得ない合体によって生まれた。

1922年に生まれたラス・メイヤーは、第二次大戦に記録部隊として従軍して映画の技術を学んだ。ヨーロッパ戦線から復員した後、ハリウッドの映画会社に就職しようとしたが、当時の撮影所はコネのない人間を受け入れなかった。そこでメイヤーはストリップショーをそのまま撮影した映画『ピープショー』(50年)を皮切りに、自主製作でエロ映画を作り始めた。製作・監督・撮影・脚本・編集をすべて自分でこなすメイヤーの映画は、世界中のどの映画とも似ていない、独自の進化を遂げていく。巨大な乳房を持つ女たち、それを下から見上げるカメラ、エレキギターのサウンド、そして凄まじい数の細かいカットが時間軸を超えて入り乱れる編集! 特にハリウッドでは禁じ手とされるフラッシュ・フォワード(未来の場面が割り込んでくる)もメイヤーは平気だった。彼のポップなスタイルは60年代から始まるセックス&ドラッグ&ロックンロールの時代にフィットし、17本目の監督作『女豹ビクセン』(68年)は6百万ドルというポルノ映画史上空前の興行収益を記録した。

同じ頃、ハリウッドは死に体だった。1960年代後半、ハリウッドのすべての映画会社が、テレビと、セックス&バイオレンスを売り物にするドライブイン映画に客を盗られて経営難に陥っていた。特に20世紀フォックスは、史上最大の超大作『クレオパトラ』(68年)で莫大な赤字を抱えていた。黄金時代に君臨した社長ダリル・F・ザナックもついに引退し、28歳の息子リチャードに社長の座を譲り受け渡した。リチャードは『猿の惑星』をヒットさせるが焼け石に水。そこでメイヤーに目をつけた。安い製作費でセックスとバイオレンスを盛り込んだ儲かる映画を作ってくれると期待したのだ。ちなみにザナックは『フレンチコネクション』などのヒットを続けるも、フォックスを追い出され、独立プロデューサーとしてスティーブン・スピルバーグを監督デビューさせ、『ジョーズ』(75年)を大ヒットさせた。

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