キミは日本語吹替の魅力を知っているか?実力派声優が魅せる【吹替】の真実を堪能せよ!

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INTERVIEW #47

 『荒野の七人』でも知られる名優ユル・ブリンナーと、『地上(ここ)より永遠に』のデボラ・カーが主演を務めたアカデミー賞5部門(主演男優賞、録音賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、ミュージカル映画音楽賞)受賞の傑作ミュージカル『王様と私』が、製作60周年を記念して待望のブルーレイ化を果たした。今回リリースの『王様と私<製作60周年記念版>』では、2種類の日本語吹替版も初収録。2000年に放送されたテレビ東京「20世紀シネマ」版から、ユル・ブリンナー役を務めた壌晴彦に登場いただき、声の仕事への道のり、そして同作にまつわる思い出を語ってもらった。

●芝居や芸事への興味は「京都の料亭」という実家環境から──まずは狂言の道へ


──お芝居や芸事にご興味を持たれたのは、いつ頃からでしょうか?
 実家が京都で料亭をやっていたので、お客さんの出入りも多いし花街の匂いも近い環境で育ちました。母親自身も長唄をやっている人で、幼稚園の頃から母親に連れられて歌舞伎とか文楽を観ていたんですね。その頃の僕のアイドルが、六代目中村歌右衛門さん。母親が面白がって教えたんですが、与三郎のセリフを幼稚園でしゃべったりして親が呼び出しをくらったこともありあました(笑)。

 京都という土地柄のおかげでしょうけれど、まだ子供だった僕が歌舞伎をやりたいと言い出したんです。ただ歌舞伎って、その家に生まれないとしょうがないじゃないですか。中学の終わりくらいでしたが、先々代の(中村)雁治郎さんのところに連れていかれて「この子は背が高いしなあ、女形をやりたいって言うてるけど、立ち役やったらあきまへんのか?」と言われて。でもこっちは歌右衛門さんに憧れて女形がやりたかったので、それが叶わないんだったら歌舞伎はやめておこう、となったんです。その後高校時代に狂言を見て、故・茂山千作(当時、茂山千五郎)さんの狂言に惚れ込んで、無理やり弟子入りをした、というのが最初のキャリアです。
──当時は、歌舞伎や狂言の世界に外から飛び込んでいく人は多かったんでしょうか?
 いや、いないですよ(笑)。本当に変わり種ですよね。環境のせいもあったと思うんですけども。
──狂言の世界も、歌舞伎と一緒で家柄が重要な世界だったのではないですか?
 完全にそうでしたね。でも師匠があまりにも素敵な演者だったので、どうしてもこの人のお側にいたかった。大学時代も通じて、ほとんど狂言師になる直前まで行ったんです。その頃は狂言と言っても、野村萬斎さんが出てきてからのような華やかな時代ではありませんので、学校や会社の催しなどに呼ばれて行くわけです。師匠の御曹司とは歳が近かったものですから、一緒に太郎冠者・次郎冠者を演じる機会が多かった。ところが、御曹司がある時に突然良くなっちゃったんです。そうなるともう敵わない。僕なんかは高校時代から遅れてスタートしたわけです。狂言の家に生まれ育ち、朝起きたらお薄(薄茶)が立っていて、裏には室町時代の蔵がそのままあって、毎日お狂言の稽古の声が聞こえてくるような環境に育った者が相手では、もうどうにもならない。

 何が違うかといえば、僕らは一生懸命ストイックに狂言をやるんですけど、向こうはある時にふわっと、京都で言う“はんなり”と懐が大きくなるわけです。一緒にやっていてもこっちが吸い込まれるみたいになっちゃうんです。これはもう勝てない、その家に生まれなかった俺が悪いと。でも悔しくはなかったです。そうやって伝統芸能が繋がっていくことは正しいと思いました。教わったことは教わったことで、身についていることもあると思いますし。でもやっぱり芝居はやりたいという思いもあり、別の側面から興味を持っていたフランス演劇をやろうと劇団四季に入ったんです。

●医学部を目指しつつ、浪人時代は年に映画を250本も観ていた!?

──芸事や演技の道を目指しつつ、同志社大学の経済学部に進学されていますよね。
 本当は医者の志望だったんですよ。実家は料亭だから両親も困ったでしょうけど、絶対に受かりっこないって思ったんでしょうね。「京都大学の医学部に受かったら行っていい」って言われたです。意地になって二浪しましたけど受かりませんでした。で、三浪はやめてくれっていうことで勝手に関西学院大学の仏文科を受けたら合格しまして。「これ何ですねん?」って訊かれたので「ちょっと映画評論家かなんかになろうと」なんて言ったらソロバンで殴られました(笑)。二浪していた間は、ほとんど予備校に行かずに毎日映画を観ていました。
──医学部を目指して二浪してるのに、毎日映画を観ていたんですか??
 毎日は大袈裟ですけれど、まだビデオやDVDがなかった時代に1年に250本ずつくらいは観ましたね。勉強はしてましたけれど、予備校に行っても仕方がないと思っていたんです。
──1年に250本も映画館で観るお金はどうされていたんですか?
 半分は母親からもらっていました。後の半分はアルバイトです。祇園の甲部歌舞練場の隣に『祇園コーナー』というスペースがあって、観光バスが毎晩来るんです。そこで舞妓さんのお茶のお点前、そして日本舞踊、文楽、狂言、こういったものをダイジェストで見せるショーがある。で、毎晩とにかく狂言の「棒縛り」をやらないといけない。普通にやると30分近い演目ですけど、10分弱でダイジェストで見せる。縮小版とは言っても必ず狂言師は必要なんで、毎晩茂山家の誰かが3人いるんです。そこに僕も駆り出されて出演していました。それと室町が近かったものですから、花嫁衣裳のファッションショーの花婿役をやっていました。これは楽でいいお金になったんです。和装で歩くだけですから。祇園祭りのお囃子もずっとやっていたし、着物は慣れたものでした。

──映画に夢中になるきっかけは、なんだったんでしょうか?
 母親が映画が好きで、いろんな映画を見せてくれましたね。だから映画館に行くこと自体に恐怖感はなくて、高校の頃からかなりの映画を観ました。最初に魅せられたのはアラン・ドロン。今観ても、何度観てもそうなんですけど、『太陽がいっぱい』のインパクトはいまだに忘れないですね。母親に連れられて観た『ベン・ハー』のチャールトン・ヘストンとか、『王様と私』のユル・ブリンナーも出ていた『十戒』とか、ビックリしながら観てました。大学も学園紛争の時代でしたから、入ったわりにはヒマでね。演劇研究会に所属してたんですけど、稽古のない時はほとんど映画館に行ってました。ちょうどその頃、高倉健、鶴田浩二、藤純子、東映任侠映画華やかなりし時代で、3本立てのハシゴをしたり、オールナイトに行ったりとかしていました。

●大学での演劇活動を経て劇団四季へ──でも、騙された!

──大学では、狂言もやりながら演劇部でも活動されていたんですね。
 そうです。大学では英米演劇でした。エドワード・オールビーとかテネシー・ウィリアムズとか。ただあの安保の時代って本当にすごくて、劇団内で意見が対立して解体しちゃうんですね。それでもうやめようかと思っていたら、今度は3年生くらいの時に大学のドイツ文学の先生が主宰していらっしゃる劇団から誘われて、半分プロの人たちと一緒に演じたりしていました。そこではありとあらゆるジャンルの劇をやりましたね。
──その頃の京都というと映画産業もまだまだ盛んだったと思いますが、映画に関わることはなかったんでしょうか。
 なかったですね。関西でプロフェッショナリズムの線をどこで引くかを考えたとき、当時の人が聞いたら怒るかもしれませんが、プロと呼べるのは劇団くるみ座の一部くらいというイメージでした。だから芝居をやるんだったら東京に行きたいと思ってました。映像の方はあんまり興味がなかったですね。
──それで東京の劇団四季に入団された。
 そうなんです。まあ、騙されたんですけどね(笑)。というのも、当時の四季はジャン・ジロドゥとジャン・アヌイっていう2人の作家を中心に、すごく素敵なフランス演劇をやっていたんですよ。それをやるつもりで入れていただいた。まだその頃は四季と言っても、今のように誰もが知っている時代ではなかったんですが、それなりに大きな劇団でした。日本生命ビルで大人数のオーディションがあって、僕はフランス演劇をやるつもりで入ったんですけど、なぜか同期生の女の子がほとんど音大出身だったんです。男はまだ学生演劇をやってたのもいるんですけど、その中に2人、ジャズダンスのむちゃくちゃ上手い男と、クラシックバレエがすごい男がいた。もう1人、口が大きくて、やたらと歌の上手い男がいるヘンな布陣で、なんだろうなと思っていたら劇団四季のミュージカル時代が来ちゃったんですね。
──劇団四季も、当時はまだミュージカルのイメージではなかったんですね。
 子供向けのミュージカルはやってましたし、大きな枠としては越路吹雪さんを擁してミュージカルやリサイタルをやってましたが、本格的なミュージカルっていうのは、四季ではなかったんです。クラシックバレエのレッスンがあって、いきなりタイツ買ってこいって言われて「なんで?」って思いましたよ(笑)。カリキュラムも圧倒的にダンスと歌が多いんです。

●『ジーザス・クライスト・スーパースター』で初舞台を踏むも、ミュージカルは「嫌です」

──四季での初舞台は何だったんでしょうか?
 恥ずかしながら『ジーザス・クライスト・スーパースター』(聖書を題材にイエス・キリストの最後の7日間を描いたアンドリュー・ロイド・ウェバー作のロック・ミュージカル。初演は1971年のブロードウェイ)なんです。僕らの期は成績が良かったらしく、研究生の2年目で何人かが役をもらったんですね。僕は『間奏曲』という念願のジロドゥの芝居の役についた。加賀まりこさんと恋人みたいないい役で、それが初舞台になると思っていたんです。ところがある日突然稽古場に呼ばれて、その頃はまだ『イエス・キリスト・スーパースター』と呼んでましたけど、そっちに出ることになった。中野サンプラザで約1ヶ月。生演奏での上演でした。全国オーディションをかけて、さっき言った口の大きな同期がいきなり主演を獲った。それが鹿賀丈史君でした。こっちは「へえ、ミュージカルをやるんだ」ってのんびりしていたら、いきなり演出家の浅利慶太さんから呼び出されて「ひとり降ろしたからお前がやれ」って言うんです。「嫌です」って言ったんですけど「劇団ってところは『嫌です』はない」って言われましたね(笑)。

 それで、ペテロという、イエスを3回否認する使徒の役をやりました。いい役なんですけども、稽古してみると「お前の歌は演歌に聞こえる」って言うんですよ。だって、こっちは邦楽を聴いて演歌を歌ってきたわけですからどうしようもないですよね。じゃあ降ろしてもらえますかって頼んだんですけど「ダメだ」って。僕、やっぱり嫌で泣いたんです(笑)。

 そんな経緯があって初舞台があって、念願のジロドゥなんかもやったりしながら、まだ研究生でしたが2年間でいろんな役をやったんです。でも結局やっぱりここは違うなと思いはじめて、一度四季を辞めてしまったんです。でも劇団から奨学金をもらっていた分がありまして、劇団にいる限りは返済に何年かかってもいいんですけど、辞めるならすぐに返せってことになりました。それで、奨学金を返すためにバイトをやりつつ、その間にほかの劇団に行く話も持ち上がっていたんですけど、そこも違うなあと…… 結局、実家に帰って板前をやることにしました。
──板前ですか? ご実家とはいえ、相当な包丁さばきができないとなれないと思うんですが。
 おっしゃる通りです。でも僕は実家の「若旦那」なので(笑)。後には旦那になればいいわけだから、お客さんに顔を見せておけ、と言われました。本当は焼き場、炊き場など修行をしなければいけないんだけど、とりあえず、魚を切り身にしたり寿司を握ったり巻いたりしながら板場に2年くらい立っていましたね。ある時、たまたま四季の同期が遊びに来たので、ウチに泊めたんです。その頃に別の芝居の誘いがあったんですが、「店を休んで3ヵ月空けられないか?」と言われて、そりゃ無理ですと断った。そんな話をポロッと同期にしたら、彼が浅利さんにしゃべっちゃったんです。すると浅利さんは「あいつ、まだやる気があるのか」と京都にまで来られたんです。京都の台所といわれる錦市場を西側と東側から歩いて途中で会おうぜ、なんてキザな再会を演出されましてね(笑)。「ミュージカルはやらなくていいから戻ってこないか。近々、お前の好きそうな芝居をやるから観に来いよ。劇団が旅費を出す」と誘われて観に行ったのが、『エクウス』(英作家ピーター・シェーファーによる戯曲)だったんです。「面白ろい、コレ!」って、俄然血が騒いで四季に戻ったら、すぐにミュージカルでしたよ(笑)。
──完全に罠じゃないですか!(笑)
 やっぱり食わなきゃいかんだろうということで、給料はステージ数で計算される形でしたから我慢してミュージカルをやってくれと言われて。そのうちミュージカル、ミュージカルの連続になっちゃった。『ジーザス~』はすごく公演回数が多かったし、その後『エビータ』(アルゼンチン大統領フアン・ペロンの妻エバ・ペロンを題材にした、アンドリュー・ロイド・ウェバー作のミュージカル。1996年にはマドンナ主演で映画化)が始まって、エビータ役が『王様と私』の吹替で共演した久野綾希子ですよ。久野さんは同期なんです。僕がホアン・ペロンっていう旦那さんの大統領役をやって、これも随分あちこち回りましたね。でも僕は、芝居がやりたいわけじゃないですか。

──壤さんにとってはミュージカルは“芝居”ではなかったんですね(笑)。
 違いましたね(笑)。それでいよいよ『ハムレット』(シェイクスピア作の悲劇)のとってもいい役が付いたんです。でも稽古が始まる1週間前に呼ばれて、すまないが『エビータ』の旅に行ってほしいと。「『エビータ』でペロンをやるはずだった人が、キャスティングの組み換えで『ハムレット』で必要になった。だからお前は『エビータ』をやってくれ、8ヵ月旅に行ってくれ」と。それでもう「やめてやる!」ってなりましたね(笑)。他の演目ならともかく『ハムレット』のホレイショー(主人公ハムレットの親友)役だったんですよ。若手の男優では二番手の役ですよね。それが出来ないくらいならもうやめようと。でも、退団しても1年間はほかで仕事をしてはいけないっていう決まりがあったんです。辞める前に四季に所属したまま、1年間は芝居に出られない。その間に『キャッツ』(ノーベル賞作家T・S・エリオットの詩をアンドリュー・ロイド・ウェバーがミュージカル化)が始まるんです。劇団からは『キャッツ』にお前をキャスティングしたって言われるんですが、「いや、やめるって言ってるんだから勘弁してください」と答えました。『キャッツ』もいい役が用意されていましたから、「お前は気が狂ったのか」と言われましたね。「うちの劇団はこれから食えるんだよ!」って。
──では、1年間我慢されたんですね。
 ちょっとだけドラマに出演したりはしましたが。朝ドラや銀河テレビ小説など、NHKが多かったです。

●声の仕事で初の主役は、『コナン・ザ・グレート』のシュワルツェネッガー

──映像の仕事の最初は何でしたか?
 斬られただけの役とかもあるんですけど、最初の役らしい役というのは、NHKの銀河テレビ小説の準主役。『北航路』というシリーズ(1982年放送)を、永島敏行さんや星野知子さんたちと一緒にやりましたね。それも四季のマネージャーの仕切りだったので、四季をやめてからは、テレビの話もパッタリなくなりましたが。それでまた本気で芝居をやめて、知り合いの映像会社でリクルート・ビデオの台本を書いていたんです。新入社員募集のための会社のイメージアップ・ビデオの構成台本などを丸2年。あと、同じ頃にやたらとナレーションをやりました。NHKの特番ものやパリ-ダカール・ラリー(現ダカール・ラリー)の専属ナレーターとか。初めて事務所というものに入って、台本書きと同時に、声の仕事も入ればやるという感じでしたね。
──じゃあ、声の仕事はナレーションからデビューされたんですね?
 どうだっただろう? 四季の時代にもあったんですよ。アテレコは結構、四季の役者さんも大勢やっていましたから、怒られながらチョイ役をやった記憶はあります。それで、いきなりアテレコで主役だっていうんで「えっ!」って驚いていたら、作品はアーノルド・シュワルツェネッガーの『コナン・ザ・グレート』(日本テレビ系「水曜ロードショー」1985年9月11日放送。)。台本を見たらほとんどしゃべってないんですよ(笑)。最初に鮮明なイメージとして残っている声の仕事はそれですね。
──お名前が今と違って麦草平とクレジットされていましたね。
 そうそう。ある人が持って来てくれて、付けちゃった芸名だったんです。
──当時、演劇をやっている方々に、声優のお仕事はどう見られていたいんでしょうか?
 その頃は隠してる人も多かったですね。あと「これはアルバイトだから」という言い方が当たり前のようにされていました。声の仕事は、演劇からドロップアウトしてしまったような感覚で語られていた時代でしたね。

──壤さんご自身にもそういう感覚はありましたか?
 僕には全然なかったです(笑)。仕事自体が面白かったですし、アテレコもなにかを表現するものであって、芝居をやる気持ちと同じで参加していました。ただ、そのまま声優という世界で生きていこうという感覚もなく、あれよあれよとまた2年が経った頃に、昔知っていた舞台監督から「お前、発声を教えられないか」という話が来たんです。井上ひさしさんの劇団・こまつ座の芝居で、若手俳優やピアニストにもセリフがついて、そのために発声のコーチが必要だったんです。その芝居の稽古が始まるまで発声の基礎レッスンをやることになり、結局は幕が開くまで付き合うことになりました。

 その時井上さんが「あなたは声楽の先生だと思ったら、役者さんじゃないですか」って驚かれたんです。で、「来年書く新作に出る気はありませんか?」と言われたのが、四季を辞めた2年後。結局それが復帰作になりました。井上さんは台本の上がりが遅くて、まあ苦労しましたけどね。紀伊国屋ホールを20日間くらい借りたのに3日しか公演が出来なかった(笑)。あとは旅公演。でもその作品の役を僕にアテ書きしてくださったんです。元役者で今は舞台番をやっている男が、もう1回俳優に戻るっていうストーリーだった。井上さんからは「僕のメッセージが分かりましたか? あなたは芝居をやりなさい」と言われました。

 時を前後して東宝から蜷川幸雄さんの舞台の話が来て、その縁で結局蜷川さんの芝居を20年やりました。毎年毎年、海外公演にも行っていましたね。

●蜷川幸雄の舞台を踏みながら、ジャック・ニコルソン、ジェレミー・アイアンズを担当

──吹替の仕事も順調に増えていったんでしょうか?
 わりとありました。ただ、ちょうど蜷川幸雄さんと仕事をしていた20年に絡んでるんですよね。1年に1ヶ月を超える舞台公演や時には海外公演を7本やっていたようなことも続きましたし、本番をやりながら昼間には次の公演の稽古をやっているような状態で、声優事務所としては非常に使いにくい役者だったんですね。「あなたには絶対にレギュラーは取れない」って言われましたけど、当たり前ですよね(笑)。事務所の社長は「じゃあ空いてるところでやろう」と言ってくれて、CMのナレーションが多かったですね。その頃にジャック・ニコルソン(ソフト版の『マーズ・アタック!』『ブラッド&ワイン』など)なんかはやりました。
──舞台で多忙な中で、吹替の準備にどれくらい時間が割けていたんでしょうか?
 本当にうまい方でスイスイやっちゃう方もいらっしゃいますが、僕はあまり器用じゃないので準備はします。まず1回タイムを取って、自分で合わせたりしながら3回くらいは練習しますね。今は毎週新幹線に乗る用があるものですから、移動の時間などを使ってやっています。吹替に関しては蕨南勝之さんという名演出家(テレビ朝日版『コマンドー』、ソフト版『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』等を手掛ける)から、「こいつは下手だから」ってハッキリ言われましたよ(笑)。「上手くはないけど、芝居となるとちゃんとやるから」と嬉しいことも仰っていただきましたが。
──吹替えた作品の中で特に印象に残っている作品はありますか?
 四季をやめてからだと思うんですが、突然オーディションを受けろと言われて『ライオン・キング』のスカー役をやることになったんですが、こんなにも影響力があるのかとビックリしました。原語ではジェレミー・アイアンズというイギリスの名優が声をやってますが、ロンドンの演劇友達に言ったら「こいつジェレミーの声やったんだって!」とすごく興奮していました。『バグズ・ライフ』のホッパー(オリジナルはケビン・スペイシー)とか『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのバルボッサ(演じるのはジェフリー・ラッシュ)とか、なぜだかディズニー系を多くやらせていただいているですけれど、癖のある悪役が多いですね(笑)。面白かったと今でも思うのは、ニコラス・ケイジの主演作『コン・エアー』のジョン・マルコヴィッチ役。回りも上手い人ばっかりでしたし、映画としてもよくできてましたしね。

インタビュー後編はこちら≫

壤 晴彦さんの吹替音声が収録されている『王様と私<製作60周年記念版>』ブルーレイは大好評発売中です!
(2016年8月29日/於:東北新社/取材・文:村山 章/協力:東北新社、フィールドワークス)

壤 晴彦(じょう はるひこ)【プロフィール】

大蔵流狂言・茂山千五郎(故・千作、人間国宝)に師事。演劇倶楽部『座』主宰。大阪芸術大学非常勤講師、NPO日本朗読文化協会顧問劇団。ヘリンボーン所属。蜷川幸雄演出『テンペスト』『卒塔婆小町』等に主演し、俳優・声優・演出家として多方面で活躍。声優としては、『ライオンキング(スカー役)』『24 -TWENTY FOUR- シーズン1(ヴィクター・ドレーゼン〈デニス・ホッパー〉役)』『パイレーツ・オブ・カリビアン(キャプテン・バルボッサ〈ジェフリー・ラッシュ〉役)』『スター・ウォーズ/フォースの覚醒(最高指導者スノーク<アンディ・サーキス>役)などがある。

解説&ストーリー

 1951年に初演されたミュージカルを原作に、46年の『アンナとシャム王』をミュージカル・リメイクした56年製作の傑作ミュージカル映画。名優ユル・ブリンナーの代表的作品であり、同年度のアカデミー賞では見事、主演男優賞、録音賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、ミュージカル映画音楽賞の5部門に輝いた作品だ。シャム(現タイ)王国にやって来た英国人女性アンナ(デボラ・カー)が、ブリンナー扮する封建的な王や王宮に新たな文化と愛をもたらしていく物語は、ジョディ・フォスター主演のリメイク『アンナと王様』(99)、渡辺謙がトニー賞ノミネートを受けたミュージカル版でも有名だ。今回リリースされる『王様と私 製作60周年記念版』は待望の初ブルーレイ化で日本語吹替版を初収録。ブリンナー役を森川公也が務めた77年のテレビ東京「木曜洋画劇場」版と、壤晴彦が務めた2000年のテレビ東京「20世紀シネマ」版が、音声解説、豊富な映像特典とともに収録される。

吹替のポイント

 何より吹替版が初収録されることが嬉しい。歌唱部分は原音が使用されている作品だが、日本語のセリフ部分と原語の歌詞部分の切り替わりに違和感がないのが見事。声質を合わせた配役の妙と、声優陣の巧みな演技を堪能できる作品と言えるだろう。インタビューに登場した壤晴彦がユル・ブリンナーを務めたのは、2000年の「20世紀シネマ」版。吹替えでは『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジェフリー・ラッシュ役で知られるが、多くの舞台、ミュージカルを経験する実力者だけに、デボラ・カー役のミュージカル女優、久野綾希子ともども、オリジナル・キャストに引けをとらない存在感を響かせている。1977年の「木曜洋画劇場」版は、『ゴッドファーザー』(日本テレビ版)のロバート・デュヴァルや、『地獄のヒーロー』(テレビ東京版)のチャック・ノリスで知られた故・森川公也&カーのほかイングリッド・バーグマンのフィックスを務めた故・水城蘭子のコンビだ。

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2017.01.06『サンズ・オブ・アナーキー』森川智之&五十嵐麗インタビュー【前編】を追加しました。

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2016.10.21『王様と私』壌晴彦インタビュー【後編】を追加しました。

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2016.07.08『マイノリティ・リポート』佐藤拓也インタビューを追加しました。

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2016.05.27『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』小杉十郎太&相沢恵子&春日一伸インタビューを追加しました。

2016.05.13『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』福永莞爾&平田勝茂インタビューを追加しました。

2016.04.15傑作吹替視聴室Vol.20:『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』特集第3弾を追加しました。

2016.04.01傑作吹替視聴室Vol.19:吹替の名盤特集第三弾を追加しました。

2016.03.18傑作吹替視聴室Vol.18:吹替の名盤特集第二弾を追加しました。

2016.02.29傑作吹替視聴室Vol.17:『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』特集第2弾を追加しました。

2016.01.29傑作吹替視聴室Vol.16:『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』特集を追加しました。

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2015.07.14『24 -TWENTY FOUR- リブ・アナザー・デイ』小山力也インタビュー第3弾を追加しました。

2015.07.19『24 -TWENTY FOUR- リブ・アナザー・デイ』小山力也インタビュー第2弾を追加しました。

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2015.06.30『24 -TWENTY FOUR- リブ・アナザー・デイ』小山力也インタビューを追加しました。

2015.06.30吹替の帝王 公式サイトをリニューアルオープンしました!

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