キミは日本語吹替の魅力を知っているか?実力派声優が魅せる【吹替】の真実を堪能せよ!

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INTERVIEW #44

 「I'll be back!」の名セリフも、ハリウッドの頂点を極めたアーノルド・シュワルツェネッガーの躍進も、そして『タイタニック』『アバター』で全世界を席巻したジェームズ・キャメロンの栄光も、すべてはここから始まった。SF映画史のみならず、映画史に燦然と輝く伝説の傑作『ターミネーター』が、1985年の日本公開から30年を経た2015年に、「吹替の帝王シリーズ」第9弾として“新起動”を果たした。今回は同ソフトに収録されたVHS版、テレビ朝日「日曜洋画劇場」版でシュワルツェネッガーの声を務めた大友龍三郎のインタビューをお届け。まだ玄田哲章がフィックス声優化する前にシュワを担当した、貴重な経験を語ってもらった。

●まずは少年時代のお話から──


──まず生年月日をおうかがいできますか?
(昭和)27年の5月18日です。今年で63歳です。
──お生まれは?
 東京の田無(現在の西東京市)というところです。きゃりーぱみゅぱみゅさんや、野球選手の大リーグに行った井口資仁さんのご出身地です。
──ずっとそちらにお住まいでしたか?
 田無に谷戸というところがあって、元々父が中島飛行機という航空機メーカーの機械士だったんです。大戦中は隼を担当していて、戦後、立川米軍基地で整備士をしていました。その後そこを辞めて谷戸から南町に移って商売を始めたので、そちらで育ちました。
──ご商売というのは?
 食料品店です。今はスーパーに代わりましたが。その前に、父は立川の米軍基地でも働いていました。
──そういったお父さんの仕事を見て大きくなられたわけですよね。
 僕も東京工業高等専門学校に入って自動車の方面にと思ったんですが、勉強が追い付かなくなって(苦笑)。でも、よく聞いたら、父の母親が大正時代の人なのですが、電車賃を削ってでも芝居を観に行くというのが好きだったらしいんです。そういう普通の人がお金を貯めて、1ヵ月に1回は歌舞伎や新派を観るという文化が、あの時代にはあったみたいですね。(自分がこういう分野に興味があるのも)「あっ、そういうことなのかな」と思っているんです。
──子供の頃からお芝居などに接する機会は多かったのですか?
 そうですね。吉祥寺に前進座というのがあって、父はそこの会員だったので、僕も小学校の頃から芝居を観ていました。昔の小学校の教科書には1年にひとつは必ず脚本が載っていたので、それを読むのも好きでした(笑)。あとテレビのナレーションの真似をしたりとか。「(♪ナレーション調で)シルクロードの旅」とか言ったりしてね(笑)。ナレーションは石坂浩二さんでした。NHKの「(ナレーション調で)王妃なれし者~」とかやって、意味は分からないんですけどね(笑)。今でもそうだと思うんですが、子供同士で遊びでやるじゃないですか、そんな感じでした。
──テレビよりも先に劇場でお芝居をご覧になっていたんですね。
 順番的にはそうですね。たまたまですが、劇団四季が子供の劇場というのを初めてやったのが、僕らが小学校6年生の時で、日生劇場で『はだかの王様』が上演されたんです。招待されて観たんですが、そういった(四季のような劇団の)芝居を観る機会はあったんです。ただ僕らの頃は硬派でしたから、「役者になりたい」なんて言うと、友達がいなくなるような時代でしたけれど(笑)。だからそんなことは言えなかったんですけれどね。
──長身でいらっしゃるし、文科系よりも体育会系で活躍されていたんじゃないかと想像するのですが。
 180cm以上もありますが、小学校3年くらいまでは物も言えないような子だったらしいんです。でも小学校にプールができて泳ぐようになると、なぜか僕が(水泳が)学校で一番速くて。勉強もできなかったんですが、何かひとつスポーツができるようになると、勉強もできるようになりました。中学校ではサッカーをやりました。まだ人気のない実業団の頃のサッカーでしたけれど。それから、バレーボールなど色々とやりました。おっしゃるように文科系というよりは体育会系でしたね。昔、体育祭っていう、学年毎に全校で試合をやる時がありましたよね。そういう時は大活躍でした(笑)。
──その頃から身長は高かったんですか。
 小学校の頃は真ん中くらいまででした。中学校の時に20~30cm伸びたんだと思います。ですから中学を卒業する頃には、180cmちょい前くらいまで丈があった感じです。
──今でしたら、バスケットボール部ですよね(笑)。
 今も友達の中学時代の同級生がバスケットをやってましたが、狭いコートでやりますよね。あれ、サッカーなんかより大変なんです。今のサッカーは動かなきゃならないけれど、昔のサッカーのフォーメーションは「5−3−2」で、あまり動かないでやっていましたから。でもバスケットは、ゆっくりと止まってはいられないんですよ(笑)。
──中学卒業後は、高専に入られたということなんですね。
 その時代は、三島由紀夫が防衛庁で(三島が1970年11月に割腹自殺を図った事件)……とか、大学紛争の最後の時期でした。東京高専の先生方というのは、結構タカ派の方が多くて、紛争中の東大にいられなくなって(高専に)来たようなところがありました。1年の頃からドイツ語を勉強したり、とても難しかったんです(笑)。(生徒も)全国からやってきて、半分が寮生で、頭の良い人ばっかりでして。でも僕は3~4年目くらいから、授業中にボーリングに行ったりしていました(笑)。それで4年目で中退して、1年くらい引きこもり、それから養成所に入ったんです。

●芝居のきっかけは高専の演劇部。中退を経て養成所に──


──高専の頃からすでに俳優を目指そうと思っていらしたんですか?
 高専に若林俊輔さんというNHKで英会話を教えている先生がいたんですけれど、早稲田の演劇部の出身だったそうなんです。全校で5学年あって、女子が10人くらいしかいないところで「演劇部を作るからやらないか」と、なぜか分からないけれど誘われたんですよ。それから演劇を始めました。
──職業としての俳優を目指そうとか、そういった気持ちは芽生えていなかったのですか?
 そうですね……まさか俳優になるとはね。でも、どこかでそういう風には思っていたんでしょうね。高専を中退してからは、1年程本ばっかり読んでいました。気が弱いものですから、大きな劇団を受けるよりは、まず近くに劇団はないかって探していたら、東伏見に小さな劇団があったんです。そこに行って受けたら、「じゃ、今日から実践をしよう」と言われて、立川のストリップ劇場に連れて行かれました(笑)。そういう軽演劇の劇団だったんですね。「今日からやるか?」と言われて、「いやいや、とんでもない」という感じで、1日見学しただけで辞めましたけど。
──憧れの俳優はいらっしゃいましたか?
 子供の頃に好きだった俳優さんは、特にいなかったような……。大人になってからは渥美清さんですけどね。「(渥美清の真似で)おい、何をやってんだお前たち!」とか、一番自分とはキャラクターが合わないんだけど、凄く憧れていました。
──お芝居をされるようになってからですか?
 そうですね。でも渥美清さんは覚えようと思って覚えたわけじゃないですけど、「(「刑事コロンボ」の小池朝雄の声真似で)すみません確かね、うちのカミサンが言うんですよ」とかね、そういうのは自然に覚えてしまう(笑)。好きだから、何となく真似したがる。みんなそうじゃないですか。
──幼い頃から自分の声に関する意識は持っていらしたんでしょうね。
 ナレーションが好きだったというのはありますね。でも、こんなに低い声になるとは思ってなかったですから(笑)。まあ、『ターミネーター』も低い声だったからオーディションに受かったんだと思いますけどね。わりと渋めの声ということで。
──今のような声になられたのは……
 声変わりが突然やってきまして……中学1年の時におたふく風邪になって、1週間くらい経って治ったら、今の声になっていたという(笑)。小学校の時は日曜教会へ行って「♪もーろびと~」なんて高い声が出ていたんです。急に低くなって、いきなり1オクターブ以上低くなって、その差がよく分からなくてね。ドの音を出そうと思っても、上のドか下のドか分からない(笑)。
──高専の後の1年間は、進路について色々と考えられたんですか?
 今で言う“引きこもり”に近かったかもしれません。ドストエフスキーやカフカなど本をいっぱい読みました。兄が買った本を読んでいくんです。今でも図書館に行くと、棚の右から全部を読んでいく。本を読むのが好きなんですよ。どっちかと言うと体育会系ではあったんですが(笑)。家もそんなに裕福な方ではなかったし、新聞配達でもして家を出て行こうと思っていたら、隣の部屋から兄貴が来て、「お前、家を出るのは辞めろ。バイトしながらやれ」って言われまして。(家を出ようと考えていたことは)話してなかったんですけど、察したんですかね。そしたら、親父は(息子が)可愛かったんですかね、養成所のお金を出してくれたんです(笑)。入学金を出してもらって、あとはバイトしながら養成所に行きました。
──どんなアルバイトをされていましたか?
 立ち食いそば屋から、養成所の先輩からの紹介で東京プリンスホテルでのバンケットの皿洗いまでやりました。これは時給が一番良かったですね。だんだん効率の良いバイトを先輩たちから紹介してもらうようになって、最後が皿洗いでした。養成所に入った時、所長さんから気に入られて、「じゃあ僕が今度演出する二期会の旅公演に出なさいよ」と、外郎公演みたいなのに同行しました。バイトに比べるとかなり良いギャラをもらえましたよ。

●プロとしての初出演作は青年座の『朝に死す』、声の仕事は『ザ☆ウルトラマン』


──最初にご出演された作品は何だったのでしょうか?
 僕の養成所は、青山杉作記念という俳優座系の養成所した。最初に出たのは『わが町』という養成所では有名な作品でした。男も女もいっぱい登場する、養成所向きの便利な脚本があるんです(笑)。その時は“進行係”という役でした。今でも台詞を覚えようとすると「この劇は『わが町』。作者はソントン・ワイルダ~」って、口から出て来る時があります(笑)。不思議なものですよね。プロで最初にやった芝居は、青年座の『朝に死す』だったんじゃないかな。1年目に7本くらいやりました。でも、芝居で食えるものとばかり思っていたら……実際には(みなさん)好きでやっていることだからギャラは良くないし、稽古はずっと出なきゃいけないし。よく聞くと、皆さんお金持ちのご子息が多くて。当時の芝居ってのは、そういう人たちがやるものみたいでしたね(笑)。
──そこから、テレビや吹替のお仕事へと広げていかれるわけですよね。
 舞台で食えるものと思って、舞台ばかりやっていたんですが……。清水邦夫さん(劇作家・演出家。1936年生まれ)が、僕の出演した『朝に死す』を観てくださっていて、木冬社という演劇企画グループの創立の時に、僕を客演で呼んでくださったんです。その清水さんがテレビ用に『秋日記』(日本テレビ系列にて1977年9月から12月まで放送)という作品を書かれて、青ノッポというレギュラーの役を頂いて、日本テレビの『土曜グランド劇場』に出ました。顔出しは、それが初めてだと思います。
──声のお仕事に関しては?
 声の仕事は、青年座の頃からですね。亡くなった大塚国夫さん(舞台・映画・テレビ・吹替で活躍した青年座の俳優。1989年死去)などの他には、あまりやっていらっしゃる方がいなくて、なぜか大塚さんから「お前もやれよ」と引っ張ってもらったのが、最初だと思います。「まあ、アルバイトよりは良いし」という感じでしたね。昔はアニメの監督やディレクターも、芝居をよくご覧になられてましたね。劇団の舞台なんかを(テレビの)ディレクターの方々も見に来て、「あいついいなぁ」と言って使ったりとか。そういう時代だったんですよ。ディレクターもどこかの劇団に昔いたとか、そういう方々が多かったと思います。
──最初に吹替えた作品は覚えていらっしゃいますか。
 アニメだったのかもしれないですが……『ザ☆ウルトラマン』(1979年4月から80年3月までTBS系で放送)ということになっているようですね(笑)。富山敬さんが収録現場にいた記憶がありますので、そうかもしれません。当時のアニメのアフレコは、“線”を見てアテる時代でした。「青い線が出てきたらしゃべってくれ」とか。画が間に合わなかったんです。洋画の吹替えは、当時はフィルム(16ミリフィルム)でした。誰かがトチると、またフィルムのロールの最初からやり直すことになる。凄く怖かったです。「2度と俺にはできない」と思ったほどでした。当時は録音機器も発達していなくて、抜き録り(声優が別々に声を収録すること)をやると、最後に調整の人がまた大変な作業をしなきゃならない。とても特殊な職人の時代でした(笑)。
──洋画の吹替で最初のお仕事というのは?
 覚えてないんですよ。確か『コンバット!』(1962年11月から67年9月までTBS系列で放送)をやった時に、「あっ、『コンバット!』のサンダース軍曹の声(田中信夫が担当)だ!」と思って隣を見ていて、自分の台詞を忘れたというのを覚えているくらいで(笑)。(驚いて)「おおお~!」とか言ってね。最初はそんな感じでした。

●『ターミネーター』は笑えるほど怖い。声のトーンが近かったから選ばれた?

──吹替の仕事に向いていると思われ始めたのは、いつ頃でしょうか。(顔出しの)俳優業とのバランスもあると思うのですが。
 28歳くらいの時に蜷川幸雄さんの舞台に出るようになったんですが、その翌年から毎年1回、1ヵ月間くらい海外公演に行ったりしていたんですよ。30歳くらいからは坂東玉三郎さんのところで、1年に1ヵ月間程度の芝居もやっていましたから、逆に吹替えではレギュラーの役をできなかったんです。途中で抜けちゃうことになりますから。昔は抜き録りもほとんどやってなくて、収録スタジオにみんなで集まってやってましたから。今のように吹替えをやれるようになったのは、劇団を辞めてからですね。『ターミネーター』のオーディションに受かった時に「良かったな、お前食えるようになって」と言われました(笑)。でも、何故か僕の知らない間に(シュワルツェネッガーのフィックスは)玄田哲章さんになりましたが(笑)。
──大友さんは、『ターミネーター』をテレビ版とVHS版の両方で吹替えられています。
 シュワルツェネッガーがまだ売れてない頃の作品ですよね。台詞は全部で17~18個しかないんです(笑)。本人が凄いオーストリア訛りで英語が上手くないから、台詞が少なかったという。だから僕も、収録のときは「お前、主役なのに台詞が少なくていいな」なんて言われていました(笑)。この頃からですね、(収録に際して)ビデオを渡されて自分で観るようになったのは。それまではビデオも渡されずに、スタジオに行ってみんなでフィルム上映を観ていましたから。
──作品についてのご感想は?
 面白かったですね。最後の方は、笑えるほど怖いです(笑)。ターミネーターが金属のフレームだけになってからのしつこさは、一番面白い見せ場ですね。終わったと思ったら、また登場! そして終わったと思ったら、また!みたいな。傑作ですね。
──こういったサイボーグのような役の声を担当することは多かったですか?
 この後は増えましたね(笑)。僕の声が「アイル・ビー・バック」と言う彼の声にトーンが合っていたから選ばれたんでしょうね。僕の声は大きいんで、よく響くんですよ。その頃のマイクは、みんなで同じ物を使いますから、響きすぎると調整の人も大変だったと思います。今のように息もマイクで拾える訳ではなかったし、入れ替わり立ち替わり色んな人がマイクの前に出てきて声を演じていた時代ですから。
──『ターミネーター』の役作りの上で、何か考えたり工夫されたことはありましたか?
 その頃、壬申の乱か何かのお芝居で、行心(こうじん)という悪い僧侶の「(低い声で)そんなことはない~」とか言う役をやっていました。低い怖い声で、芝居の評判も良かったんです。恐らくそれを蕨南勝之さん(「日曜洋画劇場」版の演出家)はご覧になっていたんだと思います。オーディションもありましたが、蕨南さんに「大友君、オーディションに来てくれない?」と言われたのには、何か繋がりがあったような気がしますね。

●悪役を多く演じていて役作りはできていた? 声自体が役に合っていたと振り返る


──実際にシュワルツェネッガーの声をアテられた感想はどうでしたか?
 最初は裸で出てきますよね。「着るものをよこせ」と言って。その後、ほとんどしゃべらないんですが、しゃべらないから怖いというのもあります(笑)。当時は、ムキムキの人はいても、彼ほど鍛えている役者さんはたぶんいなかったですよね。感心しながら観てました。
──吹替の収録に関しては、何か印象的だったエピソードはありますか?
 主役はこれが初めてだったと思いますが、主役には周りの人が気を遣ってくれるんだなというのが分かりました(笑)。昔はマイクが3~4本しかなくて、自分が声をアテるときに空いているマイクの前で喋って、終わると他の人が入ってきてと、入れ替わりが大変なんですよ。でも主役だと専用のマイクがあるから楽です。自分がアテに行くマイクを選ばなくていいですから。
──台詞も少なくて表情もほとんど無いので、違う意味で役作りをする必要があったんじゃないでしょうか?
 こういう声で背も高いので、舞台でも悪役が多かったです。特高(特別高等警察)の役をやった『死のう団』の舞台では、女の人をぶら下げて竹刀で叩いて「正直に言え~」と言ったりとか(笑)。そういった役に特化した役作りはしていたんです。1回の収録だけの声優と違って、芝居の場合は少なくとも1週間くらいは同じ役を演じますから、そういう意味では役作りはできていたんだと思います(笑)。
──ターミネーターは人間ではなく無表情なので、機械的な喋りをしなければならないなどのご苦労はありましたか?
 う~ん、僕の声自体が、この役に合っていたんだと思います。そういう意味ではロボットっぽい声なんでしょうね。表情をつけ難い(笑)。『ターミネーター』のシュワルツェネッガーは大友の声がいい、と言ってくださる方がいらっしゃるようなので(笑)。
※このインタビューの続きは、発売中の『ターミネーター<日本語吹替完全版>コレクターズ・ブルーレイBOX〔初回生産限定〕』商品内に封入されている「インタビュー集」でお楽しみください!
(2015年3月16日/於:東北新社/取材・文:村上ひさし/協力:東北新社、フィールドワークス)

大友 龍三郎(おおとも りゅうざぶろう)【プロフィール】

5月18日生まれ、東京都出身。
俳優・声優・ナレーターとして活躍。声優としてはシリアスな役や威厳のある悪役の声を担当することが多く、洋画では『ホビット 竜に奪われた王国』、『ホビット決戦のゆくえ』の巨竜スマウグ、アニメでは『ONE PIECE』のサー・クロコダイル、『魔法陣グルグル』の魔王ギリ、『ドラゴンボールZ 復活のF』では神龍の声を演じている。『ターミネーター』(テレビ朝日版)、『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(ソフト版)ではアーノルド・シュワルツェネッガーの声を担当。

解説&ストーリー

 監督作『アバター』『タイタニック』で、今や世界興行収入ランキングTOP2を独占するジェームズ・キャメロン監督と、アーノルド・シュワルツェネッガーの名を一躍世界にとどろかせたのが、1984年製作の本作『ターミネーター』。日本公開から30周年、シュワルツェネッガー主演によるリブート作『ターミネーター:新起動/ジェニシス』公開を記念して2015年にリリースされたのが、「吹替の帝王」シリーズ第9弾『ターミネーター<日本語吹替完全版>コレクターズ・ブルーレイボックス』だ。収録された日本語吹替音声は、従来のBD/DVD版に加え、初収録となるテレビ朝日「日曜洋画劇場」版、テレビ東京「木曜洋画劇場」版、VHS版の合計4種類。シュワのフィックス声優・玄田哲章(テレ東版、BD/DVD版)はもちろんだが、大友龍三郎がシュワを演じた貴重なバージョン(テレ朝版、VHS版)がファンにはたまらないところだ。吹替台本2種、インタビュー集も封入。

吹替のポイント

 吹替音声が多数収録される「吹替の帝王」シリーズは、各バージョンの吹替の違いを聴き比べられるのが大きなセールスポイントだが、本作では、玄田哲章が担当することの多いシュワルツェネッガーの声を大友龍三郎のバージョンと比較できることが、何よりも大きなポイントと言えるだろう。大友は「それいけ!アンパンマン」のブラック大魔王など、子供向けアニメの悪役を数多く担当するほか、舞台やナレーションでも活躍するベテラン。映画『ホビット』三部作でベネディクト・カンバーバッチが担当した竜のスマウグ役でも知られる。聴き比べといえば、リンダ・ハミルトン、マイケル・ビーン役も各バージョンで違っているのも要注目。大友が演じたテレ朝版・VHS版、玄田が演じたテレ東版・BD/DVD版の順に、ハミルトンを演じたのは戸田恵子・高島雅羅、松本梨香・佐々木優子、ビーンを演じたのは田中秀幸・池田秀一、小山力也・宮本充と、こちらも実力派の競演となっている。

新着情報
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  • L.A.コンフィデンシャル製作20周年記念版
  • 「コマンドー」アンコール発売
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新着情報

2017.10.06「エイリアン2」田中秀幸インタビューを追加しました。

2017.09.22傑作吹替視聴室Vol.26:『猿の惑星』を追加しました。

2017.09.01「エイリアン2」鈴木弘子インタビューを追加しました。

2017.08.25傑作吹替視聴室Vol.25:『エイリアン』を追加しました。

2017.08.04「インデペンデンス・デイ」古川登志夫インタビューを追加しました。

2017.07.28傑作吹替視聴室Vol.24:『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を追加しました。

2017.07.03『インデペンデンス・デイ』山寺宏一インタビューを追加しました。

2017.06.23傑作吹替視聴室Vol.23:『シザーハンズ』を追加しました。

2017.05.26傑作吹替視聴室Vol.22:『LOGAN/ローガン』公開記念!を追加しました。

2017.04.28『ヒート 製作20周年記念版<2枚組>』菅生隆之【後編】インタビューを追加しました。

2017.03.31『ヒート 製作20周年記念版<2枚組>』菅生隆之【前編】インタビューを追加しました。

2017.02.24『ダイ・ハード/ラスト・デイ』樋浦勉インタビューを追加しました。

2017.01.27『サンズ・オブ・アナーキー』森川智之&五十嵐麗インタビュー【後編】を追加しました。

2017.01.06『サンズ・オブ・アナーキー』森川智之&五十嵐麗インタビュー【前編】を追加しました。

2016.12.22『ホーム・アローン』矢島晶子インタビューを追加しました。

2016.12.09『ホーム・アローン』折笠愛インタビューを追加しました。

2016.10.21『王様と私』壌晴彦インタビュー【後編】を追加しました。

2016.10.07『王様と私』壌晴彦インタビュー【前編】を追加しました。

2016.09.09『X-ファイル』戸田恵子インタビューを追加しました。

2016.08.19『ターミネーター』小山力也インタビューを追加しました。

2016.08.12『ターミネーター』大友龍三郎インタビューを追加しました。

2016.07.22『マイノリティ・リポート』佐藤拓也【後編】インタビューを追加しました。

2016.07.08『マイノリティ・リポート』佐藤拓也インタビューを追加しました。

2016.06.24『コマンドー』若本規夫インタビューを追加しました。

2016.06.10傑作吹替視聴室Vol.21:吹替の名盤特集第四弾を追加しました。

2016.05.27『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』小杉十郎太&相沢恵子&春日一伸インタビューを追加しました。

2016.05.13『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』福永莞爾&平田勝茂インタビューを追加しました。

2016.04.15傑作吹替視聴室Vol.20:『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』特集第3弾を追加しました。

2016.04.01傑作吹替視聴室Vol.19:吹替の名盤特集第三弾を追加しました。

2016.03.18傑作吹替視聴室Vol.18:吹替の名盤特集第二弾を追加しました。

2016.02.29傑作吹替視聴室Vol.17:『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』特集第2弾を追加しました。

2016.01.29傑作吹替視聴室Vol.16:『X-ファイル コレクターズブルーレイBOX』特集を追加しました。

2015.12.04『ウェイワード・パインズ 出口のない街』津田健次郎インタビューを追加しました。

2015.11.13『glee/グリー』坂本真綾&早川陽一インタビューを追加しました。

2015.11.12傑作吹替視聴室Vol.15:吹替の名盤特集第1弾を追加しました。

2015.10.16『Fargo/ファーゴ』森川智之インタビューを追加しました。

2015.09.30『コマンドー』玄田哲章&土井美加インタビューを追加しました。

2015.08.14『エイリアン』大塚明夫インタビューを追加しました。

2015.08.14『24 -TWENTY FOUR- リブ・アナザー・デイ』田中敦子インタビュー第1弾を追加しました。

2015.07.14『24 -TWENTY FOUR- リブ・アナザー・デイ』小山力也インタビュー第3弾を追加しました。

2015.07.19『24 -TWENTY FOUR- リブ・アナザー・デイ』小山力也インタビュー第2弾を追加しました。

2015.06.30吹替の帝王『エイリアン』幸田直子インタビューを追加しました。

2015.06.30『24 -TWENTY FOUR- リブ・アナザー・デイ』小山力也インタビューを追加しました。

2015.06.30吹替の帝王 公式サイトをリニューアルオープンしました!

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