INTERVIEW スペシャル・インタビュー

―30年以上経って、いまやSFアクションの名作となっています。あなたは『エイリアン』がいまだに世界中で愛されているのはなぜだと思いますか?

わからないわ(笑)。でも、人気があるのは私にとってはうれしいことです。リドリー・スコットと脚本家の貢献が大きかったことを認めなくてはいけないと思います。宇宙を、抽象的で無菌状態の、いわばお堅い場所としてではなく、人間が仕事をし、けんかし、悪態をつき、愚痴をこぼすリアルな場所として描いたことが観客を驚かせたのです……宇宙の概念を変えてしまったんです。そして、あのすごい怪物がいるという事実……ほんとにストーリーがすばらしかった。それから、リドリーと撮影監督のデレク・ヴァンリントは、画期的な音と映像にしようと随分骨を折ったと思います。そして、結果的に、新しい映像になりました。また、女性が突然サバイバーになるという設定は、当時、文化的にとても重要だったんです。だからたくさんの大きな波に乗ったわけです。今でも、その波に乗っていると思います。

―『エイリアン』でご自身の人生はどう変わりましたか。また、フェミニストを象徴する偶像になったことについてどうお感じですか。

そのことについてはあまりわかりません。舞台出身の若い女優にとって、突然、出演した作品が大ヒットするってことは、ちょっと変な感じでしたね。行く先々で顔を知られてる状態になるってことでしたから。地下鉄に乗って乗客を観察することに慣れていたのに、いきなり、逆にみんなから自分が見られることになったんです。変化ではありました。当時、私は自分のことを、時々映画に出演する舞台女優と思っていたんです。あの作品でいろんなことが変わるとは予測していませんでした。でも、あんな面白い仕事をもらって幸運でした。H.R.ギーガーと特殊効果のランバルディが作り上げたビジュアルのおかげで、まるでフランシス・ベーコンの絵画のような雰囲気の映画に仕上がり、信じがたいほどにエキサイティングだと思いました。私はとても満足していました。おそらくビジネス面には自分は満足していないと思っていましたが、それは多分良かったんだと思います。

―あなたと『エイリアン』シリーズの関係はどんなふうに変わっていきましたか(『スター・トレック』関係者は当初は縛られて身動きがとれないと感じ、後に快く作品を賞賛できるようになりました。『エイリアン』では、ご自身も同じようなプロセスを踏みましたか?

幸運なことに、私が『エイリアン』を始めたときには、続編の予定はなかったんです。だから、私はただ自分の道を進んでいっただけです。知識が増え、自信を積んで、時々『エイリアン』シリーズの作品に出演しました。でも、それが、他のいろんなことをする妨げになってると思ったことは一度もありません。私を有名にしてくれたという意味で、あの仕事ができたことは幸運だったと思っています。自分のキャリアをどうしたいかを決めるのは私自身でした。私は、コメディやドラマ、他のいろんなことに大きな興味を持っていました。あの作品のおかげで、いろいろな仕事ができました。『エイリアン』に出たことを後悔したことは一度もありません。むしろ、「『エイリアン』ありがとう! おかげでマイク・ニコルズの映画にも出演できたし、アン・リーの映画にも出演できました」と思ってきました。私がほんとにやりたいと思っている仕事ができたのは、『エイリアン』で私が知られるようになったおかげだったんです。私はいろんなことをやってきました。今でもそう。私はそうするのが好きなんです。

―この作品との結びつきが強いことで大変な思いをしたことはありますか? ウィーバーさんというと、すぐ『エイリアン』と連想してしまいますが、ご自身は他の仕事もしてこられました。ご自身のお名前がすぐに『エイリアン』と結びつくということを時々苦痛に感じたりしますか。

それは、『エイリアン』は私のキャリアにおいて初めの頃の作品で、印象があまりにも強かったからだと思います。でも、正直に言って、どんな人が私のところにやって来るかで判断するしかありません。『エイリアン』のことでやってくる人もいますが、『アイス・ストーム』のことでやってくる人もいます。それから、私が出た他の映画のことでやってくる人もいます。まるで、「危険な年」のような、他の作品は見たことがないかのよう。まるで自分が好きな映画が、私が出演した唯一の映画みたいに……。だから、誰もがお気に入りの分野の映画があるってことです。いろいろな分野の映画の仕事ができて、私は感謝しています。その他のことについては……私はまったく悲しんだりしていません。リドリーと仕事ができたのはうれしかったし……そういう考え方を私はしないですね。

―最初にこの役のオファーがあったとき、どうしても出たかった作品じゃなかったそうですね。リプリーのどこに惹かれたのでしょうか?

ええ。私は少し躊躇していました。私はお高くとまっていて、「なあんだ、これって、マイク・ニコルズの映画ではないわ」ってね。でも、幸運にも光を見たんです。アートワークを見て、リドリーとも話をしました。とても幸運でした。これがどんなにすばらしいチャンスかに気づいたんです。私が躊躇気味だったのは、もしかしたらよかったのかもしれません。私が興味がまったくなかったことで、彼らが私に興味を持つようになったんですから。私は、(ため息をつきながら)「わかったわ、で、何ですって?」とかいった感じで、退屈していたわけではありませんが、「えっ? 何ですって?」っていう調子でした。「絶対にこの仕事が欲しい! この仕事は、私にとって……」なんて期待はまったくなくて、「それはどういうこと? もう1回説明して」「スケッチを見せて」「その怪物は何?」って感じで、ぶっきらぼうでした。私の醒めているところが、リプリーとよく似ていると思われたみたいなんです。

―リプリーのどういうところに惹かれたんですか? どういうふうに役にアプローチしましたか?

いい質問ね。私が惹かれたのは、クリアに見ることができる唯一の人間の孤独さだったと思います。リプリーは、マニュアルに忠実に従うタイプの人間でした。で、突然、直感が強く働くようになるんです。何が起きるかを予測できたわけではありませんが。撮影が始まってまもなく、イアン・ホルムに、「リプリーはいつも自分が正しいことをしてると思ってるって、あなたは思う?」って聞いたことがありました。彼は「もちろん」って答えました。私は「それは彼女にとって問題だと思う。初めから終わりまで、彼女がすべきすべての判断について、彼女はそれが正しいか間違っているか、本当はわからないのよ」って答えました。それについては多くの人が共感が持てることだと思います。判断を下さなくてはならない状況で、最善の判断をするのだけど、じっくり考える時間なんかはないんです。そういうところに、男であれ女であれ、多くの観客がリプリーに共感するんだと思います。リプリーは、特殊な状況におかれたごく普通の人間なんです。「マニュアルによれば、そうすべきじゃないのよ」って言っていた状況から、「ファック。まずAをやってみて、それからB、次にCをやってみよう」っていう状況に置かれるのです。そういうことは、誰の人生にも起きることだと思います。マニュアルは途中から意味をなさなくなってくるんです。自分のガッツを信じるしかないんです。

―『エイリアン』に出演してから、女性に怖がられるようになりましたか?

誰に怖がられるですって?

―女性です。それからご主人は、ウィーバーさんに惹かれたのに、すぐには近づこうとしなかったなどということがありましたか。

夫が『エイリアン』を見たことがあるかどうかさえ、私は知りません。彼は『危険な年』は2回見ましたが。でも、夫が私のことをこわがったとは思いません。いったん知り合いになれば、私はこわい人間ではないんですよ。私は図体のでかいハッピーな犬のようなものです。だから、答えはノーです。少しは怖がられる存在であればいいけど。でも、そうじゃありません。

―『エイリアン』シリーズの各作品は、数年のギャップがありますが、キャラクターへのアプローチは変わっていきましたか?異なるレイヤーをかぶせていったとか……

数年間のギャップがあるということで、何もかも変わったと思います。とてもよかったことは、『エイリアン』が私にとっての最初の大きな仕事だったということです。たとえば、撮影の第一週目に、リドリーは「カメラを見ないように」としょっちゅう言ってました。で、私はついに、「カメラを見ないようにしてるつもりだけど、いつも私の目の前にカメラを持ってきてるじゃないですか」って答えたわ(笑)。私は当時は何もわかってなかったんです。だから、私は『エイリアン』で経験を積んだようなものなんです。で、さっきの質問ですが、シリーズが進むにつれて、自信は大きくなり、知識は増え、進んだテクニックでアプローチできました。人生における経験も積み重ねていったし……。だから、私にとっては、本当に大きなチャンスだったんです。リプリーという役、ストーリー、彼女の責任、そして制作チームとの私の関係、こういったものすべては変わっていきました。だから、ストーリーテリングにおける私の役割は、本当の意味で進歩していったと思います。どの作品もとてもよく持ちこたえていると思っています。すべてのバージョンを見たいですね。どのバージョンにもディレクターズ・カットがありますから。実は、私はそれらを全部見たわけではないんです。順番どおりには見ていないことは確かです。私のキャリアにおけるハイライトは、モロッコの巨大な広場で、夜空の下、『エイリアン』を初めて見るという3万人のモロッコ人に、『エイリアン』シリーズ全作品を屋外上映してくれたときです。1作目を上映中、うす気味悪い音楽が流れ始めたときに、ムッラ(イスラムの宗教指導者)がお祈りの時間だと知らせました。音楽の上にその知らせがマイクで流れたんですが、なかなかすごい経験でした。私が30年前にやった作品がそんなふうにして、アラブ世界で上映されたのです。なんて自分は幸運なのかしらって思いました。

―パインウッド・スタジオに最初に足を踏み入れたときはどんな感じでしたか。最初に、あの怪物を目の前でごらんになったとき。

シェパートン・スタジオよ。

―失礼しました。シェパートン・スタジオですね。

あの怪物を見たのはずっと後になってからでした。リドリーは、撮影の最中だったんですが、パブでツチ族出身のアートスクールの学生を見かけたんです、確か。彼は身長7フィートでまるで他の宇宙からやってきたようで、彼のためにスーツ(ぬいぐるみ)を作らせたんです。で、リドリーは、このエイリアンが、私たちと一緒にお茶を飲んだりしないようにと、とても気をつけていました。私がエイリアンを見たのは、一緒のシーンをやるときだけ。おしゃべりなんかしませんでした。あの怪物を見たときには演技をしているって気はまったくありませんでした。実際に背中がぞくぞくするような感じでしたから。

―振り返ってみて、『エイリアン』シリーズはご自身にとってどういう意味を持っていますか?

私の娘は確か最初の『エイリアン』だけ見たことがあったんですが、去年、サイエンス・フィクションのクラスを取って――「文学と映画」というコースですが――『エイリアン』シリーズ全部と『アバター』を見たらしいの。その話を聞いてうれしく思いました。彼女のクレージーな母親が、各々の時代に何をしていたかを見てくれたわけですから。チャレンジングではあったけど、女も男も同じことができると私は本当に信じていました。で、時には、忍耐力や強靭さ、組織力の面で、女のほうが男よりも危険な仕事に向いているってこともあるんです。また、女性らしさとは何か、男性らしさとは何かというセクシュアルな面を掘り下げたことに関わったことも誇りに思っています。人を定義するのは、人格であって性別ではないと、私は今でも確信しています。私はそういうふうに見てるんです。つまり、平凡な女が、その人格によって非凡なことをなしとげるストーリーを語り続けるという文化的な現象の一端に関わったということです。

―お母さんはどう考えていらっしゃいましたか? お母さんも女優だったんですよね。リプリーについて、また、ウィーバーさんがリプリーで大成功したことについてどうお考えでしたか。

母は本格派女優でした。英国王立芸術院で学び、クラスメートにはヴィヴィアン・リーがいました。舞台女優で、映画の仕事は数本だけ……。母がどう思ったかわかりません。

―お母さんは『エイリアン』シリーズをご覧にならなかったのですか?

確かに見ました。2作目の試写に母と母の友人を連れて行ったことを覚えています。母がどう思ったのかはわかりません。母はイギリス人で……親として、私に仕事があって、ちゃんとお金をもらってることに満足していたとは思います。どんな親でもそうですよね。でも、「こんなすばらしい作品は見たことがない」なんて一度も言ってくれませんでした。母がどう思ったのかはわかりません。もしかしたら、「マシンガンを持って娘が走り回ってる」と思ったかもしれません。

―『エイリアン』のプリクウェルについての噂を聞いていますが、プロデューサーとして関わっていらっしゃるんですか?

このシリーズに新しい息を吹き込むについては、私は何をすべきか、すべきではないかについてアイデアがいっぱいあります。アドバイザーになるのはおもしろいかもしれません。リドリーが手がけていると聞いて、とてもうれしく思います。彼なら何をすべきかわかっていますから。世界はおもしろい状態なので、敬意を持って描けば、あの怪物を元いた惑星に戻すことには意味があると思います。復活させることはおもしろいと思います。気軽に私に声をかけてくれるようにと願ってるんです。観客が何を求めているか、求めていないかについて、私はいい勘をしてるんです。出演するのではなく、アドバイザーでもいいから関われればうれしいのですが。

—観客は何を求めていると思いますか?

4作の世界から離れる必要があると思います。地球に戻るのは大きな間違いだと思います。もしかしたら、スペース・ジョッキーがやってきた所に行くとかする必要があります。どうして、人間や怪物はそこにたどりついてしまったのか。いったん戻ってみるんです。その世界に戻ってみるんです。元々そこに住むために送られたことははっきりしています。そういうのはどうかしら? でも、敬意を持って描く必要があります。 『エイリアンVS.プレデター』を私は見たことがありませんが、かなりひどい作品だって聞いてます。クオリティの高さを維持してほしいですね。そうなると信じてはいますが。観客に戻ってきて再体験してほしいと頼むのなら、心を奪われるようなすばらしいストーリーとキャラクターで楽しませないといけません。

―このシリーズでは、4人のとてもすぐれた監督とお仕事をなさいました。全員について詳しくお話する時間はありませんが、手短にこの4人の監督との経験についてしゃべっていただけますか。

4人ひとりひとりについて言えることは、そして、フォックスがこの4人を選んだ理由は、全員、大きなビジョンを持った若い才能ある監督だったということです。彼らは、映画作りについて、とても独創的なビジョンを持ち、他の監督とは異なる、オリジナルな作品を作りたいと願っていました。リドリーは見事にそれをやりとげました。ジェームズ・キャメロンは美しい脚本も手がけて、スケールをもっと大きくしました。デイビッド・フィンチャーはまったく異なり、ダークな感性を持った人なので、リプリーの家族を全員殺し、観客を違う世界に連れていきました。『エイリアン』シリーズと私にとって幸運だったのは、各々がとてもユニークなビジョンを持っていたことです。あとは、彼らがそのビジョンを実現できるようにすることだけでした。このバージョンにはとても興味があります。オリジナルのバージョンがあり、ディレクターズ・カットがあります。こういった映画を監督することは簡単ではありません。大型予算作品になってしまいましたから(笑)。多くのコーディネーションを必要とします。遂行すべき多くのテーマもあります。このコレクションで、詰め込まれたすべてのテーマとディテールがどんなふうに明らかになっているのか見たいと思います。すべてが、強迫観念につかれたようであり、マニアックです。各シーンは、どんなに小さなシーンでも重要な意味を持っています。だから、観客がディテールに注意を払う方法があってうれしいと思います。だって、最近では、映画は以前よりも性急に作られています。現在では、私たちがかつてやったように、ほんのささいなことにも異常にこだわるようなことはできなくなっています。

―今と30年前の大きな違いは、時間のかけ方ということですか。

当時は、とてもオリジナルな監督を求めていたものです。私が思うに、今では、映画作りはもっと大きなビジネスになってしまいました。利益を出すために映画を作っていて、ついでにいいストーリーが語れればと思っているようです。当時は、誰もが、何か際立ったこと、オリジナルなことをしようとしていました。一般化して言うべきではないとは思いますが、今は、映画が、かつてよりも“企業ビジネス"になってしまっています。みんなが企業に所有されてしまっているから。企業の利益ということを映画作りに関与させない方法はたくさんあると思います。だけど、1作目を作った当時は、海のものとも山のものとも知れない小さな映画だったんです。フォックスは「撮影を早く終えろ」とうるさかったけど、私たちは14週間をかけました。今だったら、今、あんなにダークで個性的な、インディペンデントっぽい作品を作るとなると、せいぜい許される撮影期間は35日でしょうね。だから、当時は贅沢に時間をかけられたんです。

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